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性格類型論“スリーギャップグラム”

スリーギャップグラムとは、筆者の提唱する性格類型論である。とは言え、ありていに言えば、精神医学者・木村敏氏と元政治家・田中眞紀子氏とエニアグラムのそれぞれからの借用である。その借用したもののアレンジおよび組み合わせに多少の新味があるに過ぎない。しかし、借り物だからこそ、その分類には説得力が出てくるとは言えまいか。よって、借用者として借用先の方々に謝意を表したい。

用語の定義および類型

用語の定義をする。まずは時間的な観点から見た三つのタイプである。

祭のまえ
「祭のまえ」タイプは、意識が未来を向いており、変化や予兆に敏感である。ただし、その未来が憧れであったり、恐れの対象であったり、どちらでもありうる。先々を見据えた上で行動するが、結果の積み上げが得意でなく、また、自分独自の未来を思い描いているため、必ずしも計画性があるようには見えない。統合失調症になりやすい。
祭のあと
「祭のあと」タイプは、いわば履歴を残すことが好きなのである。「祭」は常に結果として過去の方向側にあり、そのような成果物を積み上げて満足するのがこのタイプである。よって、計画の実行は得意だが、実は先々のことはあまり考えていない。考えたとしても、分かりやすい未来を考えている。鬱病になりやすい。
祭のさなか
「祭のさなか」タイプは、今この瞬間に大きな関心を寄せる。逆に言うと、成果の蓄積も先々の見通しも得意ではない。自他の融即した精神状態になることがあり、それゆえ、普段から何らかの一体感を求めるようなところがある。脳に軽微な発達の遅れや障害があることがある。

この三つはいつも必ずそうである事を意味しない。単に傾向性である。また、これでは記述が不十分とされる方は、木村敏氏の提唱する用語、「アンテ・フェストゥム」「ポスト・フェストゥム」「イントラ・フェストゥム」を参照していただきたい。全く同じでものではないが方向性はほぼ同じである。

次に、空間的な観点から見た三つのタイプを定義する。この「空間」とは人的環境のことであり、より具体的には周囲の人間とのかかわり方である。

凡人
「凡人」というのは、周りを変えるくらいなら自分が合わせるという態度である。
軍人
「軍人」というのは、自分も変わる代わりに周りにも変わることを求める態度である。
変人
「変人」というのは、自分に周りを合わさせようとする態度である。

同じく、この三つも傾向性を意味している。これに関しては、もともとが田中眞紀子氏の短いコメントなのだから、参照先を紹介するわけにはいかないが、これらを定義するにあたって筆者の念頭にあったのはバーナード・ショーの言葉、「物わかりのいい人は自分を世の中に合わせる。わからず屋は自分に世の中を合わせようと躍起になる。だから、あらゆる進歩はわからず屋のおかげである」であったことを付け加えておく。

そして、これら3×3で、計九つの性格類型があるのである。ここで、ちょうど9類型を持つエニアグラムから類型をそのまま借りてくる。すると奇しくも、次のように規則正しく分類できるのだ。

  1. 「改革する人」祭のあとの変人
  2. 「助ける人」祭のあとの軍人
  3. 「達成する人」祭のあとの凡人
  4. 「個性的な人」祭のまえの変人
  5. 「調べる人」祭のまえの軍人
  6. 「忠実な人」祭のまえの凡人
  7. 「熱中する人」祭のさなかの変人
  8. 「挑戦する人」祭のさなかの軍人
  9. 「平和をもたらす人」祭のさなかの凡人

リストの番号がそのままエニアグラムでのタイプの番号(以下では e1, e2 のように頭に「e」を付けて表そう)になっている。タイプの具体的な内容については、エニアグラムを解説したサイトや本で調べて欲しい。ここでの用語の意味を踏まえれば、このような対応付けが妥当であることが納得いただけるであろう。たとえば、タイプ3「達成する人」が「祭のあとの凡人」なのは、タイプ3の成功志向で華やかなのとイメージ的に一致しないと思われるかもしれないが、実は正しく実相を表している。なぜなら、彼は自分の業績を積み上げていくタイプなのであり、かつ、社会の仕組みをそのまま利用して、いわば自分を変えて成功を得ようとするタイプだからである。

ただし、「祭のまえ」「祭のあと」「祭のさなか」と「凡人」「軍人」「変人」の組み合わせから出てくるものと、エニアグラムの類型の内容とでは、細かい部分で齟齬があるはずである。そういう部分ではエニアグラム側の解釈はとらないのである。

タイプの新旧

さて、「祭のまえ」「祭のあと」「祭のさなか」の3タイプには、より旧い・より新しいがあるのである。なぜなら、想像力のレベルに違いがあるからである。今この瞬間ばかりに関心があるならば、ほとんど想像力を使っていない。そして、過去とは記憶であり、記憶とはある種の固定された想像力ではないだろうか。文句なしの想像力の発揮とは、未来を思うことである。よって、「祭のさなか」「祭のあと」「祭のまえ」の順で想像力のレベルが低く、すなわち、認知能力の方式が旧い。

「凡人」「軍人」「変人」については、「凡人」「変人」「軍人」の順に旧い。これは、弁証法的な順序なのである。つまり、我々は見知らぬ者同士で集まったとき、まず、黙って周りに従う態度をとる。しかし、慣れてくると周囲にいろいろ要求するようになるが、自分もまたそうされることになる。そうやって、トラブル含みのやり取りをいくつか経験して、ギブ&テイクな人間関係を築いていく。

それゆえ、九つの性格類型にも旧い新しいの順番がある。順番について、性格の空間的側面は時間的側面に優先する。なぜなら、上にも述べたように、人々が集まると、凡人、変人、軍人の順に人々全体の態度の雰囲気が遷移していくからである。これを歴史的時間のようなもっと長いスパンで考えれば、人々の臨時の態度ではなく、どんな性格の人が多いかの割合が遷移していくことになるわけである(態度だけでは性格ではないが態度に傾向があればそれは性格である)。一方で、性格の時間的側面は、そのような変化をもたらさないように思われる(それ自身が時間に関することだからだろうか)。したがって、「凡人」「変人」「軍人」は、新旧の順序においては「祭のさなか」「祭のあと」「祭のまえ」に優先する。辞書式順序において一文字目の順序が二文字目のそれに優先するようにである。

よって、先ほどのリストをタイプの旧い順に並べ替えると次のようになる。番号がゼロから始まるのは、後で図にしたときの整合性のためである。

  1. 祭のさなかの凡人「平和をもたらす人」(e9)
  2. 祭のあとの凡人「達成する人」(e3)
  3. 祭のまえの凡人「忠実な人」(e6)
  4. 祭のさなかの変人「熱中する人」(e7)
  5. 祭のあとの変人「改革する人」(e1)
  6. 祭のまえの変人「個性的な人」(e4)
  7. 祭のさなかの軍人「挑戦する人」(e8)
  8. 祭のあとの軍人「助ける人」(e2)
  9. 祭のまえの軍人「調べる人」(e5)

なぜわざわざこんな並べ替えをするかというと、九つの類型を一列に順序づけたいからである。エニアグラムでのタイプの並びは、いわゆる線形順序で考えられていない。しかし、「祭のさなか」「祭のあと」「祭のまえ」と「凡人」「変人」「軍人」の概念を導入すると、根拠のある線形順序で並べることができる。

スリーギャップグラム

ここで、一定間隔で印をつけた糸を円い糸巻に巻き付けていくようなことを考えてみよう。つまり、九つの性格類型が並んだ「糸」をである。一定間隔ということは巻き付けて円形になったときの中心角が一定ということである。すると、このような場合の角度において、特別なものがある。それは、いわゆる黄金角で、円周を黄金比で二分したときの狭い方の角度である。なぜこれが特別かというと、この角度は、より一般的な印の個数を限定しない状況において、印が最も間をあけて散らばることを保証するからである(「スリー・ギャップ定理と黄金比」の定理7を参照)。

すると、以下のようになる。この図もスリーギャップグラムと筆者は呼ぶことにする。というより、こちらが全体の名称の元なのである。この図こそ、オリジナルと言ってもいい唯一の要素だからである。

図(スリーギャップグラム)

0.「平和をもたらす人」(e9)。1.「達成する人」(e3)。2.「忠実な人」(e6)。3.「熱中する人」(e7)。4.「改革する人」(e1)。5.「個性的な人」(e4)。6.「挑戦する人」(e8)。7.「助ける人」(e2)。8.「調べる人」(e5)。参照しやすいようにもう一度載せておいた。

三つの三角形は、時間的側面の3タイプを表している。点の三色の色分けは、空間的側面の3タイプを表している。

さて、太線の円弧は、エニアグラムで言うところの「自己主張型」「追従型」「遊離型」を示している。このグループ分けは、エニアグラムにおける三分類のうち、最も分かりやすいものである。自己主張型の e3, e7, e8 は押しが強い。追従型の e1, e2, e6 は何かや誰かに従うのが好き。遊離型の e4, e5, e9 は集団内で浮きがち。つまり、もっと一般化して、この円周上の距離の近さは、見かけの類似性を意味していると捉えることができる。実際の類似性は、時間的側面と空間的側面とで別々に成立するので、円周上の距離は見かけだ、ということである。

したがって、たとえば e9 は、e4 および e5 と見かけ上、とくに e5 とよく似ているのである。だが、時間的側面は e9 のみ違うグループに属する。

また、円の下半分は、いわば社会で成功しやすいタイプばかりなことが見て取れる。

ちなみに、名称の由来は、この図での円と点の配置が、three-gap theorem(Steinhaus conjecture とも言われる)で扱われているものと同種のものだからである。

さらなる付言

e9 は原人タイプ、e3 は旧人タイプ、e6 は新人タイプとでもいうべき性格類型なのである。なぜなら、小動物の狩りや虫や木の実を探して食べることに一日を費やし、あとは肉食獣を警戒しつつ寝るだけという生活をしていたのが原人だが、旧人になるとより進んだ石器や少人数のチームプレイで大型獣を倒すようになり、我々の直接の先祖の新人になると、むしろ大型獣の狩猟は本来の得意分野ではなくなったのだが、虚構とうわさ話の力によって、より大きな集団を形成して集団の力によって旧人をしのぐほどの大型獣の狩もできるようになり、なにぶんにも、高度な言語によって離れた所に住む仲間とも文化や技術を共有するようになったからである。しかし、本質的に e6 的である我々のなかにも、より古い性格特質を引きついでいる人が一定数いるということである。そして、e7, e1, e4, e8, e2, e5 はすべて e6 からの二段階先祖返り(最初から e9 であるのとは異なる)か、一段階先祖返り(最初から e3 であるのとは異なる)か、あるいは、派生なのである。(こうして、人間の煩悩の型が出そろった。性格タイプの増加は人間の煩悩の複雑化・進化である。)

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