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『君たちはどう生きるか』のドア番号について

遊びに付き合ってあげます

9月11日にようやくジブリの『君たちはどう生きるか』を観てきました。 で、以下のことに「答える」つもりはなかったのだけれど、このサイトの内容に関わるある特殊事情から、監督がまるで私に問題を出しているような気がしてしまったので、もう一週間以上経ってますが、答えることにします。 さて、私は監督に今まで観に行かなかったこと(なおかつ、観に行ったふうを装っていたこと)を謝らなければいけないが、上映期間中に観たのだから別にいいだろうとも思う。まあいいや。

ここで答えを提示する『君たちはどう生きるか』の謎要素とは、知ってる人なら知っている、が、最初から作者の匙加減一つすぎて考察厨ですらやる気を削がれてしまう代表格のような、これです。

ラスト付近で、眞人と夏子は番号 132 のドアから現実世界に出、久子とキリコは 559 のドアから出る。この数字の意味は何か。

外れていたら恥ずかしいが、思い切って答えてみる。

解答: これはエニアグラムのタイプ番号なのである。 ドアの番号「132」は「眞人=タイプ1、父親=タイプ3、夏子=タイプ2」ということ。 「559」は「久子=タイプ5、大伯父=タイプ5、キリコ=タイプ9」ということ。その三人組で象徴される世代の現実世界に帰るということ。

(大伯父は、番号 559 のドアの向こうの世界で存命のはずである。すでに行方不明者扱いなのかもしれないが、時折あちらの世界から密かに塔内に戻ってきたりしていたり。そんな塔内の大伯父に久子はときどき会いに行っていたのかもしれない。)

しかしながら、久子(あるいはヒミ)はあんまりタイプ5(頭脳タイプ)には見えない。 だが、異世界の崩壊が進んで大伯父の「積み木」が宇宙空間にこぼれ落ちていくのを目にして、後ろ髪引かれる感じで逃げ遅れそうになる。 これは、カードゲームオタクが「大伯父様秘蔵の超レアもの遊戯王カードが〜」と騒ぐみたいなことで、本好き同士にしかわからない、物語構造をあーだこーだイジって楽しむための(そして直ちに実体化してくれる)貴重な「積み木」というツールの散逸を惜しんでいる。 つまり、久子自身も一度あれで遊んでみたかったのであり、すなわち、久子は現実世界においては自作小説をせっせと書いているようなワナビである。 そして、よく見るとおでこキャラである。 ゆえに、タイプ5である。

キリコも典型的なタイプ9らしくはないかもしれないが、タイプ8寄りのタイプ9と考えることができる。 若キリコが喧嘩する眞人とサギ男を、あんたたち仲良くしなよ、とたしなめるシーンに注目。

ところで、眞人と大伯父にはともに宮﨑監督自身が投影されているのであろう、という解釈が一般的なようだが、監督自身はそんな単純な見方はしていないと思われる。ゆえに、眞人と大伯父のタイプが違っていてもいいのである。

さて、(物書き系の)ワナビならエニアグラムを知っていてもおかしくないはずだ。 なぜなら、キャラ設定で頭を悩ましてそういうのに頼りだしたりするから。 もっとも、エニアグラムはあの時代、欧米でも知られていないはずだが、それは監督の遊びである。

このように、なぜ監督がこんな「遊び」を入れたのかということについては、もし私の解答があっているならばという限定付きですが、「ワナビ久子」というキーワードでもって括れると思います。

さらに想像をたくましくすれば、『君生き』の話全体が久子の創作だという解釈もありうる。 大伯父も久子の創作上の人物なのである。 眞人はきっとあのお屋敷で久子の「黒歴史ノート」を見つけて読んだのだ。
「母さん……。ちょっと引くわ。…。でも、まんざらでもない、かな?」
で、大人になってからそれを映画化している、というのが本当のオチだったりして。

映画の感想

これが難しい。 映画の内容というより評価を下すことがです(ここの文章は一応監督が見るかもしれないという体で書いている。まあ、ないだろうけど)。 我慢できない。正直に言ってしまおう。 私は、後半のファンタジー・パートでインコ人間が大量に出てくるあたりから異世界崩壊の瞬間まで(ネタバレすみません)、物語世界に入り込めなくなる感じでした。 事実なのでしょうがない。 じゃ、つまんなかったかというと、そうではないんだな(実際こんな文章書いてるわけですしおすし)。

この映画は大伯父の作った世界の命運が話の核のはずである。 よって、くだんの部分ではこのことが中心になって感動(感情の動きという意味)が生起するように作るのが普通である。 ところが、監督があたかもわざと茶化して阻止しているような感じさえする。 よって、肝心な話のコアの部分だけ、不思議なことにプラスの感情もマイナスの感情も起こらないようになっている。 具体的にいうと、眞人が大伯父の世界を継ぐかどうかについて、「めんどくさいもの継がされそうになっちゃって、まあ、大変だね」と、観ている者は外側から冷静に「維持されようが崩壊しようがあっちの話」という気持ちになるのである。(ちなみに、大伯父の世界はあの世に間借りしているだけで、それが崩壊してもあの世はなくならないということだと思われる。)

しかしながら、ここまで来ると「あーこれはあれだ、スタジオジ○リの話だ」とかなりの観客はピンと来る。 だから、作ってる当の本人はなおさらなはずで、ハリウッド的な展開にはとてもできなかったということなのかもしれない。 話のピースが、というか「積み木」が、「監督・脚本、宮﨑駿」というクレジットまで作品の一部と考えるとこうとしかはまらないような。 そう考えると、この映画はあるべき形をしている、と言えるのかもしれない。

アニメの絵や表現や音楽(音楽に関しては今までまったく失念していたが、劇伴も主題歌も映画に完全にマッチしていて、それゆえに失念していた)に関しては文句なく素晴らしい。いつものジブリ+αみたいな。

思想性など

今作は、「脱魂型シャーマンの話」という気がします。 いや、いきなり文化人類学的な話題を出しますが、私はこういう視点を常に持っているインテリ崩れだ、ということでは決してないです。 『君生き』をみると、どうしてもそういうものが連想され、これは監督が意図的にやってるのかもしれないな、と思わざるを得ないのです。 それゆえ、脱魂型シャーマンについてもネットで調べて、ああそういう分類があるのか、という感じでやっつけで書いているのです。

いやそうでしょう。『失われたものたちの本』(未読です)というファンタジー小説を下敷きに作品を作るうちに、宮﨑監督は「これは脱魂型シャーマンの話だ!」と気づいたに違いないのです。 少年が幻覚めいたものを見たりするのはまさに巫病だ、と。 で、制作途中でおそらく方針転換している。

最初は自分も白雪姫のダークなパロをやるつもりで、7人の婆さんを登場させたのだが、脱魂型シャーマニズム文化圏の神話では7とか9の数が神聖視されるらしいので、そこに奇妙な偶然の一致を感じ、しかし元々は7人の小人の意味だったから、ちょっと「弱い」と感じて、「風切りの7番」という謎ワードを追加導入したんではないか、と。

ちなみにシャーマニズムの神話では、天と地をつなぐ塔とか大木とか梯子の要素も重要なのである。 すると、これは監督がはっきりと意識しているか疑問なのだが、かぐや姫の説話もひょっとしたら脱魂型シャーマンの話として再解釈できるかもしれないのである(シャーマンが女性で、キーナンバーが5、というところが微妙に違いますけれども)、ただし、その裏返ったものね。 竹が天と地を結び、あちらからこちらにやってくるのである。 すると、その点において、監督の中で自分のやろうとしてる話が故・高畑監督と結びつくわけである。

さて、脱魂型シャーマニズムは新石器時代ぐらいにまで遡れる文化である。 石器時代なのだから、石は当時のハイテク素材で、信仰の対象にもなりやすい。 (今もむしろ、「珪石器文明」の時代で、例えば、CPU のことを「石」と言いますけどね。) それゆえの「石」がものをいう『君生き』の世界観である。 そして、脱魂型シャーマンの父系世襲と、憑依型シャーマンの母系とがその世界にはあるのである。 これは、実際の文化人類学的見解と合わないが、おそらく、シャーマンの父系が存在しているときは母系シャーマンによる支配権は抑制されるという感じなのだろう。 よって、久子もシャーマンである。 ただし継承権はない。 (もしかしたらドラマ『TRICK』の山田奈緒子が久子のもう一つのモデル? 喋り方がぶっきらぼうだし。さすがにそれはないか。)

このように『君生き』の世界ではシャーマン的能力というのが一つの鍵になっていて、あたかも現実の何かを象徴している。 それは言うまでもなくアニメ制作(の特に企画・絵コンテ・脚本の方面)に携わることのできる能力である。 なぜなら、アニメという架空の世界を作ることは、言うなれば異世界に没入してその世界をいろいろ空想すること(脱魂)や、キャラになりきってセリフを考えたりすること(憑依)に他ならないからである。

(まあ、厳密には違うものでしょうね。心理的にはよく似ているけれど。 なぜなら、漫画家はみなトランス状態になったり啓示を受けたりして作品を描いているわけではない。 しかしながら、例えば出口王仁三郎がまるで現代のラノベかちょっと昔のSF小説のような『霊界物語』を書いたように、両者には明らかに相似の平行関係がある。 !、!? まさかあの爺さん、巨神兵とうしとらの金神の力を使ってナウシカとスサノオが対決する話なんて作り始めてないだろうな? で、ナウシカは実はアマテラスでしたとか。それはあんまりだぞ。

以上。

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