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これはフィクションです。

救世主になろう

私は精神医療に携わっている。こんなことを書くのは守秘義務違反に抵触しかねないのだが、私のある患者が語ってくれた話について、少々、思うところがあった、というより何かしら言い表せない気持ちを感ずるところがあった。

何ぶんにも変わった話で、「転生」とか「異世界」とかいう言葉が出てくる。もちろんこれらは、日本の若者たちの一部で近頃流行っている文芸、すなわちライトノベルといわれるものの用語であり、そのような意味では実にありふれている。同時に、この話にみられる奇妙さは、患者の妄想にありがちなことという意味でまたありふれたものだ。しかし実はライトノベルやファンタジーのシチュエーションを多用する患者はまずいないのである。

そのようなわけで、この日記代わりの文書ファイルにではあるが、万が一、人目に触れてもいいように可能な限り当人のプライバシーに配慮しつつ、私が聞き得た話を記しておこうと思う。そのまえに当の患者について。

その患者はT君という。私の知り合いの弟で、一応まだ大学生ということになる。在学中に発病して私のいる病院に収容された。病名はおのずから推察されようが、昨今では病名もまたその他の各種アイデンティティーや障害と同じく差別や偏見にさらされてはならず、ましてやこの病気は歴史的にみてその不幸な例の最たるものの一つであるから、ここでは病名を差し控えたい。また、私自身、自分でその診断を下しながら微妙に疑問でもあるのだ。

以下の話を聞いたのは、私が、T君の様子もだいぶ良くなってきたので、そろそろ通院治療に切り替えようかと思っていたころの、ある定期診察のときである。T君はいつになく朗らかな表情でこう話し出したのだ。

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先生。だいぶ自分が発病した時のことを思い出してきました。先生のおっしゃる通り、僕は病気だったに違いないのです。すべてのきっかけは「トラック」だったんです。トラック。あれは講義が済んでアパートに帰る途中でした。僕は確かにトラックにはねられて死んだんですよ。ええ確実です。その瞬間だけははっきり覚えています。でもね、その前後が曖昧なんです。なんで交通事故に遭ったか今もってよくわからない。え、死後の世界の話かって? いや、死後の世界じゃあないんです。でも、あるんですよ。それが今から話すことなんです。僕は、「異世界」に「転生」したんです。

とにかく気づいた時には、僕は異世界にいたんです。すっかりその世界に馴染んだいで立ちでね。ちょうど中世のヨーロッパに似てる世界でしたね。まあ、僕は中世ヨーロッパのことよくは知らないからあれですが。自分の家もありましたよ。大きくはなかったけれど。微妙に人気のない、街からはちょっと離れたところでした。それで、なぜかその土地の言葉もすっかりマスターしてるし、土地勘もある。習慣などもまあ怪しまれない程度にわかっている。おまけに、めちゃくちゃ体が動くんですよ。身体能力が半端ない。でっかい剣も持ってますし。あとで分かりましたけど顔かたちもいかにもそれっぽくなってるんですよね。

というわけで、つぎは職探しですよ。家の食料の備蓄に不安がありましたからね。森のほうに行けば獲物も獲れたんだろうけど、僕の持ち物に弓矢はまだなかったですからね。

で、街へ向かったわけですが、僕はなぜか不安はあまり感じませんでした。なんかもう、体が軽いから、はやく剣を振り回したいといいますか、本当に、無駄に飛び跳ねたりしながら小走りしてましたね。だから、傭兵なんて一発採用だろうと思ってましたし、すぐに待遇もよくなるはずだと。

それで街についたら、そんなに大きな街ではなかったけれど、そこら一帯の中核となる街といいますかそんな感じで、結構賑わっていたんであちこち見てたら急に腹がへってきちゃって、来る途中何匹か倒したオオカミのうちの一匹の、勢いあまって両断したやつの体内からなぜか金貨が二枚ばかし出てきていたりもしたので、酒場に入ってソーセージを頬張りながらビールをやっていたんです。

するとふいに声を掛けてくるやつがいるじゃないですか。しかも女の声です。 「ねえ、ちょっとココいい? あんたの剣、おっきいねー。実はさ、さっきあんたが狼を真っ二つにしたところを見たんだよ。ここらのはデカいのにさ。並みの使い手ではないとみた。そこで、お願いがあるんだけど……」 とこうくる。見ると相手は、金髪で、背は普通の男くらいあって、鉄の胸当てをつけた見るからに女戦士って感じの、僕と同い年くらいの女の子でした。コイツもまた体にくらべてバカでかい剣を背中にしょってる。

要は、領主様が山賊を討伐するので、でも傭兵を差し向けられない事情があるってことで、内々に腕に覚えのある者を募集しているらしい。その頭数が足りないのでスカウトされたってわけです。よくみると仲間を二人連れてます。

僕は、さっきのぴょんぴょん飛び跳ねてたのも見られてたんかいな、とすこし恥ずかしくなりましたが、まあ、いろんな意味でなにか持ってそうな奴とみられたのでしょう、そんな空気も感じて、また、とにかく剣を振り回したくて仕方ありませんでしたから、OKしました。

で、彼女の名前はエレナっていいました。連れのうちの一人は、大柄な男でカイっていいました。このときはでっかい戦槌を持ってましたね。あとの一人は、ユウカっていう名の、僧服を着た、その地域では珍しく真っ直ぐな髪質の娘で、回復魔法の専門家、って言ってましたが弓使いでもありました。

それで一度、領主にお目通りして、肝心の山賊退治ですが、まあ、初仕事ですので思ったよりも大変でした。魔法を使うやつがいて、召喚っていって魔物みたいなのを呼び出したりするんですけど、そいつ自体が魔法を使いますからね。炎の魔法と氷の魔法とで、後ろから前から、もう熱いんだか冷たいんだか。また、山賊の親分がやたら強いんだな。ガッチリ鎧で固めてる。でもまあ、自分も含めた「近接武器三人衆」でとりかこんでボコボコにしてやりました。

褒美をもらって城館から出て、あ、言い忘れましたがこの街は城下街です、またあの酒場に入って祝杯をあげて、いずれ会う約束なんかをして別れて、家に帰ろうとすると今度はフード付きの粗末な服のへんな爺さんが声をかけてくるじゃないですか。
「わしはおまえの死んだ親父を知っておるぞ。おまえは知らんだろうが、お前の父親は勇者ラタレバだ」
あんまり急な話なんで、まさに目が点になった感じでしたが、相手は真剣だし、こっちは「転生」してきたっていう、たとえるなら戦時下のアンネ・フランクじゃないですけど、素性をまともに明かせない、といいますか、履歴書の前半が空欄のような、そんな弱みがあるので、いつしか僕はこの爺さんの話を真剣に聞いてました。

どうやら僕は少し昔にこの大陸で起こった戦役で大活躍したラタレバという剣士の息子らしいのです。だが母はそれを隠して僕を育てたと。しかも僕の血筋は特別らしく、剣で戦っているとき、たまに敵を一刀両断してしまうのはお前に特殊な「力」があるからだと。わしのところにくれば、その「力」の訓練をしてやるぞと。

僕は一晩考えて、その老人のすむ山上の庵に行くことにしました。その場所は家からさほど遠くない場所でした。老人は山奥の粗末な庵で出迎えてくれました。老人の名はデモといいました。ところがもう一人、同じく粗末なローブを身にまとった老人がいて、こちらはシカといいました。二人は別に性的マイノリティというわけではなく、単に隠賢者で、山にこもって、真夏の暑い日に滝に打たれたり、極寒の時期に火渡りの儀式を行ったりして修行しているのです。

訓練と言っても、大したことはありませんでした。すこし薪割りと水汲みをやらされて、こんどは洞窟の中の巻物をとってこいと言われて、洞窟に入ると、そこは古代の共同墓地で、何匹か悪霊系のモンスターを倒して、なにか変な仕掛けの石扉があって、そこがやっかいだったのですが、あとは簡単でした。それで、戻ってくると巻物の呪文を唱えてみろと言われて、まあ、いったん閉じて読み方を教わったんですが、唱えると、巻物の字が光って体が一瞬熱くなったように感じて、そのあと剣を振るってみると、振った時に衝撃波みたいなものが飛ばせるようになりました。
「おお、さすが血筋だな」
デモは言いました。
「というわけで、さっそく頼みたいことがあるのじゃが、この指輪をだな、××火山の火口に捨ててきてくれ」
え、親父の話とかしないの?って思いました。なんでいきなり指輪? というか、××火山ってすごく遠いし、荒涼としたところにあるのです。(筆者注:話者は独特の普通でない固有名詞を織り交ぜることが多々あり、馴染みがないため筆者は聞き取れないことがある。また大して話に関わってこないものも多い。そのようなものは筆者の独断により××や○○などと記す。)
「でなければ『門』に行くかだな」
シカが言いました。 「門?」と僕は聞き返しました。要するに門と呼ばれる場所があって、そこで指輪を「使え」と。だけれど、門はドラゴンに守られていて、倒さねば門にたどり着けないと。でもシカ、なんで僕が、と聞き返すと、
「世界の均衡が崩れはじめておるのじゃ」
シカではなくデモがそういいました。
「あるいは『虚無』じゃな」
シカが付け加えました。
「その指輪はとにかくめっちゃヤバイのじゃ。均衡が崩れるのもその指輪のせいじゃ。本当はその指輪は鍵に過ぎないのじゃが、それによって開かれるものが危険なのじゃ。おぬしにはそれを破壊してきてもらいたい」
だからなんで僕が、と言おうとすると。
「では、××火山に行くか?」
とシカが言う。話にならないのでとりあえず引き受けたフリだけしとくかと思ったら、デモが決定的なことを言ったんです。
「おぬしは聞いたことがないのかな? 『門』の隠し財宝の伝説を」
って。

というわけで、僕は例の仲間三人プラス一匹とともに旅に出ることになったのです。隠し財宝の話はガセではなく、巷ではよく知られているらしくて、その話をしたら三人が、厳密にはそのうちの二人ですが、食いついてきました。じゃあ、なんで彼らはいままで行かなかったかというと、それはそれで信憑性がないからです。嘘くさい話というのは異なる出どころのものが二つ以上重なると真実らしい話になるのです。さらに、実際に「行ってこい」と命令した人物と命令された人物がいるということになると、なにか現実味がえらく増してくるのです。

ちなみに一匹というのは僕の飼い犬、パトラッシュのことです。エピソード的には別にありません。犬ですから。街からの帰り道、いつのまにか僕をつけてきたので、そしてなかなか強そうだったのでペットにしました。事実、闘いにも役立つ有能なやつでした。

旅は楽とは言えませんでしたがしかし楽しいものでありました。思い出します。あの雪を頂いた□□の山々。あるいは、真珠のような湖の点在する湖水地方。そしてなんといっても、帝都××××。それから、白砂の浜辺が続く△△海岸。

僕らの「仕事」のほうも順調でした。単に旅をするってわけにはいきませんからね。山賊退治の仕事は少し大きな町に行けばいくらでもありました。ただいくら請負うことができても退治しないことには始まりません。僕らはその点においてもパターンを確立していたのです。とにかく近接攻撃自慢が三人もいますから同じ敵を三人で袋叩きにするのです。それだけです。あとの一人、ユウカはこれはこれで重要な役目があります。弓で他の敵を足止めするのです。あと、近接攻撃の三人組はどうしても怪我をしますから、それを回復魔法で治す役割もします。パトラッシュも重要でユウカだけではどうしても心細いですから、こいつがいると心強いのです。

だから僕らの闘いは、「ヤー!ヤー!ん~ハッ!ヤー!ヤー!ん~ハッ!」と、三人で餅をついているみたいになります。魔法?攻撃魔法のことですか? そんなの知りません。そんなのを身に着ける余裕があったら近接戦闘力の強化にまわします。まあ、これがあとあと問題になるのですが……。それはそのうちわかると思います。

当時の僕らはもうどんな相手でもきやがれって感じでした。物事というのはパターン化すると、そしてそれが上手くいっている限りは、パターンが単純なら単純なほどのめり込むものです。僕らはどこまでもこの四人と一匹で突っ走るつもりでした。

そんなある晩、夕飯の後、焚火を囲んでめいめい楽な姿勢で横になったり夜空を見上げているとき、エレナがふと口を開きました。
「こんだけの星のどれかにもさぁ、人間がいてさぁ、やっぱりこうして毎日、よろこんだり、悲しんだり、闘ったり、殺されたり、生まれたりしてんのかな……。人間っていったいなんのために生まれてくるんだろう?」
するとユウカがびっくりしたように、
「エ、エレナ?……ちょっと待ってね、いまお薬とってくるから」
するとエレナが
「はぁ? あんたケンカ売ってんの? なんでもないよ。なんとなくそう思っただけさ」
そのときカイがおもむろにこう言ったんです。
「俺も思うときあるぜ。こう言っちゃなんだが……。何度も同じ人生繰り返してるような気がするんだ。エレナ。お前、どこ出身だっけ」
「えっ。○○地方の△△村だけど?」
「子供の頃の記憶はあるか?」
「えっ!?あるよ、あるに決まってんじゃん」
ってエレナは答えたんですが、妙にムキになったような感じでした。やりとりは続きます。
「その思い出は本物か?」
「えっ!?」
「俺にももちろん思い出はある、親父もお袋もいる。でもその記憶に実感がないんだ。なんて言ったらいいか、あった出来事とか幼馴染の名前とか全部覚えてるけど、言葉でしか覚えてない、みたいな……。いや、顔はありありと浮かぶ。故郷の景色も浮かぶ。でもそれがよくできた絵と同じようなものだとしたら……。だから、何度もお袋に聞かされた昔話みたいに、ひょっとしたら俺の人生も何回も繰り返してるんじゃねぇかなってな」
「うーーーーん」
「ふむ。お二人とも哲学的なこと考えますねぇ。私のお師匠さんみたい」
あっ、今のはユウカです。
「ちぇっ、坊主と一緒にされたんじゃかなわねぇや。寝よ寝よ」
そう言うエレナの顔は相変わらず何かを考えてるようでした。

そして旅もいよいよ佳境に入り、とうとう「門」のあるはずの島に一番近い大陸の端の港町にやってきました。そこまでくると、目的の島がかすかに見えます。僕ら四人は港街の高台から島影を眺めました。
「来たじゃん」
とエレナ。
「……うん」
と島の方向を眺めながら僕。
「いよいよだね」
「……うん!」
今度はエレナのほうを向いて、微笑みながら、だけど力強く。
「よっしゃあっ!やるぞー!でも約束だぞ~。宝物は山分けだからなー。勇者の息子だからって独り占めすんじゃねーぞー」
「やだー、カイ君たら~」
「アハハハハ」
「わっはっはっはっは」
てな感じです。(このとき話者は実にしみじみとした笑顔を浮かべた。病前の彼本来の一面が窺えた貴重な瞬間だった。)

ところでひとつだけ悪いことがあって、その港町に着くまでにパトラッシュが逃げてしまったのです。ある敵が今までにないくらい強力な雷系魔法を使ってきたのですが、それに驚いたようです。それっきりです。みんなで手分けしてあちこち探したのですが。まあ、もともとフリーダムな奴だったのですけど、でも、懐いてなかったとは考えられない。

さて、そんなこんなで、僕らはとうとう目的の島に上陸しました。そこは入り江の奥の崖に囲まれた小さな港で、桟橋のほかはせまい平地と小屋があるばかりでした。船乗りたちはここで待ってるって言いました。崖を登って一歩島の中に入るともう化け物がでて危ないとか。だから嵐を避けるとき以外は、そして僕たちみたいな冒険者に雇われでもしない限りは、ここに来ないんだと。僕らはさっそく崖につづら折りについた細い道を登っていきました。いよいよ山の中に入ります。案の定、何匹かの動物やら精霊っぽい敵が出現して戦闘になりましたが、適当にいなして、いよいよ山を抜けました。僕らは思わず「うわー」と軽く声をあげました。眼下に古代遺跡が広がってたからです。

周辺の遺跡はみな崩れかけてるのに、中央の小高い丘のてっぺんにある建物だけは違うのです。材質もデザインも違う。黒光りしているのだけど艶消しに近い黒の、高さよりも横幅のだいぶ広い円筒形で、某名作SF映画のモノリスみたいな質感です。その建物が「門」なのです。

僕らは一両日かけて、所々でモンスターを倒しつつ、いよいよ、パルテノン神殿のような建物へと進みました。そこを通らないと黒い建物には行けないのです。黒い建物はもう目と鼻の先です。で、その神殿っていうのは、屋根が崩れ落ちてて、列柱と壁の一部が残ってるかなり雰囲気のある遺跡です。いかにも何か起こりそうなロケーションです。

そのときです。どこからともなくバサッバサッと重たい羽音がして、ずしっ!と、ドラゴンが降りてきました。例のドラゴンに違いないと僕は思いました。いよいよ戦闘開始です。対ドラゴン戦はもっと弱い種類を相手にならすでに経験済みでした。ところが闘っているうちに勝手が違うことに気づきました。こいつはやたらと空に飛び揚がるのです。そしてもちろんですが攻撃に対する耐久力が高い。

近接攻撃三人組の弓矢がちっとも効かないのですよ。それ以前に当たらない。下手だからです。
「当たんないよ」
「ちっとも堪えてねえな」
って、エレナもカイもぼやいてました。ところで僕の「衝撃波」はというと、これはこれでコントロールが難しくて飛び回る相手にはまず当たりません。前のほうですこし触れた「問題」とはこういうことなのです。我々は攻撃魔法をもっと習得すべきでした。

ユウカの弓の音だけが単調に響く中、ドラゴンがついに降りてきたところを見計らって、やにわにカイが飛び出しました。雄叫びとともにドラゴンの吐く炎もかまわず突進して、渾身の一撃を加えました。そしてまた一撃。三発目でドラゴンは息絶えました。 僕らは口々に叫びましたよ。
「おお!」
「やったなあ!」
「スゴーイ!」
カイは激しく肩で息をしながらこちらを見てうなずくだけでした。

ところがそのとき、黒い建物の方角からバサッバサッと重たい羽音が近づいてきて、僕らは別のドラゴンが空をやってきたのに気づきました。その瞬間のカイを僕は忘れられません。こう言ったんです。
「え~~~~~~~~~~!!」
ものすごく落胆したって感じでした。 カイは本来そんな奴じゃないのです。あくまでも責任感が強く、どこまでも根性でやり抜く、そして最後の最後まで決してあきらめない、そんな男気あふれる奴、それがカイなのです。カイはほとんど何もできずに、ドラゴンの吐き出す猛烈な冷気を浴びて死んでしまいました。

しかしこれは一体どういうことでしょう? 実は、最初のは無関係の通りすがりのドラゴンで、本物のドラゴンは黒い建物のすぐそばの微妙に死角になったところにいて、僕らが黒い建物に近づいたところで飛び出してくるはずだったんです、きっと。

もはやこの肝心の闘いを詳細に述べる気力は今この場の僕にもありません。ほとんど同じ闘いが繰り返され、最後はカイのかわりに僕が突撃すべきなのです。ですが僕はカイほどに一撃必殺ではありません。見込みは薄いのです。

僕らはなす術もなく、バラバラに物陰に隠れて飛び道具による攻撃を続けるしかありませんでした。

エレナの弓音もユウカのそれさえもまばらになった頃、僕は自分の持ち物の中に賢者デモとシカからもらった刀と、あと、いつのまにか所持してた、周囲一帯に敵味方なくダメージを与えるっていう、大雷撃の呪符というのを見つけたのです。とくにその刀というのは僕の家系に伝わる刀ということらしく、なぜかは知りませんがデモが預かっていたものだそうで、なんでも、ドラゴンへのダメージが倍増するというのです。なぜすっかり忘れていたかというと、この世界に来て、自分の家系が何かにつけ話題にあがるわりにはちっとも実際的影響力がないからです。それに普通の大きさの日本刀みたいな刀でしたし。ともかく、ドラゴンの冷気攻撃はのべつ幕なく吐きかけられ、もはや一刻の猶予もありません。

僕は呪符を取り出して落ちていた矢に貼りつけました。呪符が光りながら消えて矢に呪文がかかりました。それを飛んでるドラゴンの真下あたりに射放ちました。当たったところから閃光が走ると、今度は空がたちまちかき曇って雷鳴がとどろき出し、次から次へとそこら中に雷が落ちました。そのうちの二~三発を食らいましたが耐えて、するとよろめきながらドラゴンが降りてきたので、体力回復薬を一気飲みしてから、刀を抜いて突撃しました。
「ちぇすと~~~~~~~~!!」(筆者注:これは英語ではなく日本語の方言由来の掛け声である。薩摩藩の武士が敵に斬り込む際はこの雄叫びを上げたという。それゆえ、幕末を描いた大河ドラマや昔の空手漫画などでこれにお目にかかることができる。)
驚くべきことに冷気攻撃はなく、ドラゴンは一撃で倒れました。

ついに勝ったのです。嬉しいよりもほっとしました。しかしすぐに嫌な予感がしました。静かすぎるんです。僕はユウカとエレナの名前を交互に呼びながら瓦礫の間をゆっくり歩いていきました。すると、壁の陰にエレナを見つけました。死んでました。僕は我に返ったようにユウカの名前を連呼しながら探しました。ユウカも石像の陰で死んでました。

それから小一時間ほど経ってから、僕は本丸であるはずの、黒光りする無機質な建物へと向いました。そこから先は初めてだけれどもうあらかた分かってます。デモとシカに詳しく教わりましたから。

石段を登って建物に近づくと入り口も何もないわけですが、デモシカ賢者の説明によると指輪のようなものが埋め込まれている箇所があるはずなのです。まあ、それは石段の正面にあったのですが、いちおう僕は建物の周りをぐるっと回ってみようと思いました。けれど裏側の方は少し崖のようになっていました。と、変なことに気づいたのです。建物はわずかしか地面にめり込んでおらず、とくに崖の上面のところなんかは建物の下部との間にごくわずかな隙間があるじゃないですか。なんかこの建物、UFOみたいに飛びそうだなあ、なんて思いつつ、また石段の方に戻りました。そういう目で見るとこの石段も妙なんですね。最後の部分がまるで宇宙船の入り口へのタラップのように見えてくる……。さて、僕は頭を切り替えて、例の箇所に指輪を近づけました。するとどちらの指輪もまるで熱せられたみたいに赤く光って、次の瞬間、空気が少し吸い込まれる感じがしたと思ったら、壁面の指輪はすでに残像になっていて、いつのまにか入り口が現れてました。

中も相変わらずの黒光りしたモノリスみたいな質感です。中に入って少し進むと、壁の繋ぎ目みたいな筋が一斉にぼうっと青白く光りだしました。背後で入り口が閉じたのが光の具合でわかりましたけど、僕はもうそんなことはどうでもよくなってました。中は全体にぼんやり明るい。とにかく中世ヨーロッパ風の雰囲気とはまるで異質でした。

通路の突き当りは、広い円形の空間になってました。そこは明らかにものものしい雰囲気で、変な形の装置らしきものが一ダースばかり楕円形に並んでました。その真ん中には、人が何人か乗れるくらいの円形の台が、二つ並んでました。実はそれ、転送装置なのです。「指輪」を持った者がそこに上がれば自動で転送が開始されるシンプル設計です。片方の円形の台の縁がまるで召喚魔法の魔法陣の円みたいに黄色く光ってまして、それは装置が作動可能なことの印なんです。光の消えてる方はたぶん「下り」用です。

実はあの世界の上空には、某有名大作SFファンタジー映画のデススターにも似た巨大な人工衛星、とは言っても人間が作ったかは疑問ですが、そんなのがあるのです。「聖都」と言われるものです。そこに行くための転送装置であり、それゆえ「門」なのです。

本当は「聖都」を破壊するのが僕の使命だったんです。某国民的アニメ映画のラピュタみたいにね。滅びの呪文、というか時限式自爆用コードもデモとシカから教わってます。

結局、どうにか僕は真っ黒い聖都にたどり着いたのです。転送時にはまたもや雷みたいなのがバチバチ光って、いい加減うんざりでしたし、なによりも心に刺さりました。気がつくとまた似たような転送装置の部屋にいましたが間取りが違いました。それに神官と言われるロボットが迎えてくれました。聖都の中には大勢の神官がいて、確かに一つの都市でした。どういうわけか重力がありました。でも窓から見える景色はまぎれもなく宇宙でした。僕は大神官に目の前の惑星を破壊してくれと言いましたが、それは不可能ですと言われました。じゃあ地表を燃やし尽くしてくれと言ったら、「浄化」ですね、それなら可能です、と言われました。二度ほど念を押されたけれど、それでいいと言いました。では「浄化」を執り行います、と大神官は言い、ある台に指輪をはめるよう僕に促しました。指輪をはめ込む円形の溝が台の上に三十個ぐらい大きさの順に並んでて、ひょっとしたら指輪の全サイズ分あるんかいな、めんどくさいシステムだなと思いましたが、とりあえず合うところを探してはめ込みました。指輪が赤く光りました。すると、それが発射ボタンになってるとのことでした。僕はほとんど躊躇することなくその赤く光る輪の真ん中を押しました。

なんだか無限に上がっていく音階にも似たうなり音が高まってきて、そのしばらくのち、突然ものすごい閃光と轟音とともに光の極太のビームが地球によく似た惑星に向けて発射されました。惑星のほうにも一瞬目も眩む閃光があって、そのあとお椀を伏せたような光のドームが現れて、大気圏をはるかに超えて宇宙空間にまで盛り上がりました。水の波紋のような衝撃波のあとを追いかけて、光の玉の周りから赤い光の円がじわじわ広がっていきました。僕は大神官を部屋から下がらせました。そして、使いどころがあまりなくて持ち物の中に溜め込んでた毒薬の一つを取り出しました。ああ、もし魔法をもっと習得してい「たら」……。もしあのとき呪符を使わなけ「れば」……。俺はタラレバ勇者だ。ようやく父さんに近づけた気がする。それから、ごめんよ、パトラッシュ……。

そして死んだらまたこちらの世界にいたのです。

ところがですね、先生。先日、カイが僕のところに見舞いに来たのですよ。このあいだはエレナとユウカでした。そしてパトラッシュも!それどころか、あっちで知り合った他の人たちもちらほらと、です。みんな仲良くしてるって。仲良く、「暮らしてる」わけじゃないけれど、心は一つだって。

ほら。これユウカがくれたんですよ。手作りの籠手です、弓の命中率が上がるっていう(とT君は言うのだが、筆者には何も見えなかった)。

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T君の話はあまりに同病患者の典型的症例と異なるので、私は思わす聞き入り、途中から録音したくらいなのだが、即座に彼の入院延長を決断したことは言うまでもない。現時点においても彼は入院療養中である。ただ、彼がこの話の最後に泣くような笑顔でこう言ったのが忘れられない。「みんな僕のことを褒めてくれるんです。おまえは救世主だ、って」。

2020.Jan~Feb
執筆
2021.Aug.17
アップロード
2024.Feb.25
語句修正
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